神奈川・東京南西部を中心に37店舗、3工場、従業員数300名(2026年1月現在)を擁するクリーニンググループ、和光たまがわグループ。今回は、同グループの代表であり、主幹企業 株式会社和光 代表取締役の勝川由康さんにインタビューしました。勝川さんは日本商店会の5代目会頭も務めています。

創業者の次男坊として何不自由なく育つも、創業者と二代目を相次いで亡くしてしまう

和光は実父と父の兄が一緒に創業したクリーニング会社です。営業やマネジメントが父、染み抜きなどの生産が父の兄という役割分担でした。
母いわく、創業期の父は、次から次へとやんちゃな人たちを集めて幹部に育て、将来の後継者をつくっているようにみえたそうです。8つ上の兄は出版社へと就職していったので、私も兄の背中を見て、和光には入らずに今のUSEN社に新卒入社します。2人の息子に「将来は好きにして良い」と言った父は、実のところは継いでほしかったと母から後々聞かされましたが。
しかし入社1年目、長年闘病生活をしていた父の容体が急変し、亡くなります。亡くなる前年に、No.2だった高木社長が経営を引き継ぎました。
しばらくはUSENで働くつもりだった私でしたが、入社2年目に転機がおとずれます。和光に対して六本木ヒルズで出店の要請がありました。英語を話せるスタッフが必要だけどそんなスタッフはいないから断る予定だと、食事中に母から聞かされ、「それならクリーニングの職人技ができなくてもお役にたてるから、私にやらせてほしい」と伝え、転職を決意します。
高木社長のNo.2になることを目標として、六本木ヒルズ店の運営をメインに、そのほか工場業務や、販促業務も経験させてもらいました。しかし、2011年8月にその高木さんもお亡くなりになってしまいました。自死という最悪の結末でした。
一人で抱え込ませたこと、そばにいるのに高木社長の心を支えられなかった不甲斐なさも含めて、とても悲しくつらい出来事でした。私は高木さんの葬儀の弔辞で「必ず良い数字を墓前に報告する」と約束しました。
初めて知る会社の現状。お給料が払えない。
いよいよ会社の代表として業務を開始したとき、突きつけられた現実に言葉を失いました。店舗を増やし順調に見えた経営は実は火の車で、今月の従業員さんのお給料が払えないという状況まで追い込まれていました。
会社員時代の個人の貯金が500万円だけありました。妻に頭を下げ、500万円全額を会社に入れました。それでパート従業員さんになんとかお給料を払いましたが、正社員には払えません。私の社長としての最初の仕事は、お給料が払えないことを社員に謝罪することでした。
廃業のアドバイスもあったが、高木さんとの約束と母の気持ちを考え、立て直しを決意
もちろんそのまま廃業することを勧めてくれた方もいらっしゃいました。ただ、先代社長の高木さんとの約束もありますし、何よりも創業から父を支え続け自分たちを育ててくれた母の気持ちを思うと、会社がなくなったり従業員がいなくなることは母にとって何よりも辛いだろうと感じました。だからこそここは息子として、今度は自分が支えていかないと強く思いました。当時その決断を応援してくれた妻には感謝してもしきれません。
売上至上主義と下請けからの脱却

最初に取り組んだことは、先代の売上至上主義からの脱却です。売上拡大を目指す中で不採算店舗がいくつも出ていたので、まずそこをすべて撤退しました。あわせて下請け事業もやめました。当時の当社にとってはとても大きな売上になっていたので不安もありましたが、赤字を止めることを最優先に決断しました。
それと同時に利益が出ている店舗は大々的にリニューアルしました。外観、内装としっかりお金をかけました。外から中が見えやすく、看板も明るく目立つ店舗づくりは、お客さまからも高く評価していただいており、今でも当社の特徴の一つです。
従業員と誠実にコミュニケーションを図る
不採算店舗の撤退、店舗のリニューアルといった「外側の取り組み」と並行して、従業員と毎週しっかり対話を重ねていくことを始めました。この「内側の取り組み」は、当社にとってある意味「外側の取り組み」よりも重要な取り組みになったかもしれません。
具体的には「現場で何が困っている?」「どんな取り組みがあればもっと効率的に仕事ができる?」といったことをヒアリングし、それを一つずつ解決していきました。
そうした対話を重ねるうちに、あるときその会議で従業員から「◯◯してみたい」と提案が出てきたのです。「あっ、これから会社が少し変わっていけるかも。」と感じた瞬間でした。
実際その会議に参加してくれていた従業員の中から、今の和光を支えてくれている幹部社員もたくさんいます。
異業種からの学びを通じて、会社の理想ができた
少し安定して事業が回り出したころ、外の世界に目を向けるようになり、同業の先輩経営者と関わることが増えてきました。ただ、そこで交わされる会話は「下請け業者の値下げに成功した」「こうやって人件費を下げるんだ」といった内容が多く、正直ちょっとげんなりしていました。もちろん全員がそうではないですよ。
そんなとき2012年ごろだと思うのですが、同業の先輩経営者の有限会社サンドライ高橋典弘社長と知り合う機会がありました。その高橋社長から「これから異業種から学ぶ時代だよ」と紹介されたのが、日本商店会です。
日本商店会では、社長さんがみんな元気で、学びもどんどん仲間に共有されていました。また「経営理念」とか「人を大事にする」とか今まで考えたことがないようなことをどんどん学ぶ機会があり「こんな会社にしてみたいな」と初めて会社の理想ができました。
中でも衝撃的だったのは「利は後」とか「お客様から届いた感動の手紙が宝物」と話す経営者の姿。本当に感動しました。その感動は今でも自分の経営者としての道標になっています。
ワイシャツもまともにプレスできないポンコツ社長を支えてくれる女性スタッフたち
当社はたくさんの女性が活躍してくれています。社長直轄のGMも3人中2人が女性です。しかもパート従業員から少しずつ成長のステージを上げて、今では会社の屋台骨です。そんなスタッフに憧れてまた下の世代ががんばってくれています。社長の私はワイシャツ一つきれいにプレスできないポンコツなんですが、普段支えてくれるスタッフには本当に感謝しています。
私にできることは、未来をちゃんと伝えることと感謝を伝えること
私が会社でできることは、会社の未来と、その未来のために期待していることを一人ずつしっかり伝えること。そして貢献してくれたときには、感謝をしっかり伝えることです。
感謝の伝え方は、賞状だったり昇給だったり昇格だったりいろいろあります。もちろんそういった形も大事ですが、それだけでなく普段の会話を通じて伝え続けることも大事なのかなと思っています。
実際に、パートスタッフとして入社してくれた方が、店長になったりリーダーになったり、8店舗束ねてくれるようになったりするのは、経営者として何よりもうれしい瞬間です。
「和光らしさ」というものが少しずつできてきた

こんなエピソードがありました。ある女性の若手スタッフが少し元気がなかった時期があり、それに気づいた女性の上司がスーパー銭湯に一緒に行って悩みを聞いてくれたんです。話を聞いてみた結果、もしかしたら違う店舗で働いてみたほうがいいかもしれないと思い、それを私に提案してきました。もちろん異動してもらい、その子はまたがんばることができたようです。
和光のスタッフはとにかくみんなが優しくて、愛があります。地方から引っ越してくる子には家具を一緒に買いに行ったり、「ご飯食べてる?」と気にかけたり、体調悪い時には代わりに親御さんに電話したり。
こういったエピソードは、ふと考えると「和光らしさ」でもあり、ずっと前に私が理想として思い浮かべていた姿なのかなと思いました。
苦労という言葉では表現できないほど大変なことがたくさんありましたが、みんなに支えられて、そして昔思い描いた理想を手に入れ始めているとしたら、それは本当にうれしいです。
日本商店会5代目会頭としてのこれから
2025年から日本商店会5代目会頭を拝命しました。偉大な歴代会頭にはまだまだ及びませんが、自分が日本商店会に貢献できること、恩返しできることがあればどんどん挑戦したいと思っています。300人の組織をまとめる秘訣とか、女性スタッフとの向き合い方とか、絶対に女性にやったらいけないこととか(笑)、そういったリアルな経験を共有していきたいですね。
また正確には3代目社長となりますが、創業者の父を持つ2代目社長の悩みはそれなりに共感できると思います。一方で、私みたいなお坊ちゃんや、経験が浅い2代目3代目がたくさんいると思うので、よい意味でハードルを下げて一緒に成長していきたいと思っています。

